「人間臨終図鑑2」山田風太郎著
全4巻もある中でやっぱり自分の今の年齢が含まれる年代の死にざまを見たいので、50歳から64歳の第2巻をチョイス。
悲壮感あふれる夭折でもなく、長寿を全うした大往生でもないこの年代は、一定の業績は挙げており、あとは楽に死ぬか苦しんで死ぬか、または、栄光に包まれて死ぬか恵まれない死を迎えるかのオプションとなる。
その中で、この年代は慢性の長患いで死んだケースが多く、身体的な苦痛の描写が多いのが、読んでてつらかった。最初の刊行が1986年なので、その頃までは苦痛の緩和ケアがあまり発達してなかったのだ。現在はもう少しラクに死ねる可能性は高いだろう。その反面、生命だけ維持されて人ではないような状況で、もっと言えば生きる意味の無い状況で生き延びる可能性も高い。
当記事筆者がこの本を手に取ったのも、名著の誉れ高いからというのもあるが、後半生に入ってやはり自分の行く末を想う機会があるからである。自分には同居する家族もないし一族の墓も無いから、没後のことは証書にまとめて信頼できる人に樹木葬を頼むか。晩年に心身が弱ってカネがかかる事態もありえるから、貯蓄は計算しないとな。
たぶん読み返す時期によってこの本の気になる臨終は変わってくるだろうが、そんなだから、今の時点では、魯迅(1936年、55歳没)と安藤広重(1858年、61歳没)のさっぱりした臨終がお気に入りである。
<引用>
魯迅 私の生涯にはとりたてるようなことは何もない。私の伝記程度のものなら、中国では四億も集まり、図書館を一杯にしてしまうだろう
広重 湯灌もいらぬことなれども真似事ばかりさっと水をかけおくべし。手数をかけるはまことに無駄な骨折りゆえ決してご無用なり。吝嗇は悪し、無駄ははぶくべし。通夜のお人には御馳走いたすべし。
広重の遺言なんてほとんど詩的ですらある。
(平成23年発行・平成30年購入、徳間文庫)
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